これからは、自宅で好きな事を仕事にして生きていく!
全くのゼロの初心者、何もない自分がそう決心し、手探り状態で一歩一歩進んできた経緯を、かつての私のようなあなたにお伝えしていきたいと思います。
パートさん集団の嫌がらせが始まった
子供の頃から絵を描くことが好きでした。
事務仕事は向いてない(好きじゃない)と思っていたので、仕事が終わった後にデザインの学校に通い、資格を取り、念願のデザイン関係の仕事に就くことが出来ました。
オリジナル商品のデザイン、ポスターやPOP、カタログやDMの作成…
何もかもが楽しい。
仕事が好きでした。
最後の職場でもやはり同じような内容の仕事をしていましたが、ある日部長から呼び出されました。
「あの人、何やってるかわからない」
「遊んでいるようにしか見えなくて、目障りだ」
全く仕事上の接点がないパートさん達が、こんな事を言ってきたという事でした。
私の仕事はパソコンで絵を描いたり、レイアウトをしたりする技術職です。
もちろん遊んでいたわけではありませんし、今まで仕事をしていてそんな事を言われた職場は一つもありませんでした。
それでも上の人間がパートさん寄りなのはすぐわかりました。
だからといって私は仕事をしていただけなので「うまくやってよ」と言われても、何をどううまくやればいいのかもわからず、普段通りに仕事をする事しかできなかったのです。
その後私は、彼女たちにとって「何の改善も見られない」ますます目障りな存在になったらしく、無視や聞こえるような悪口を言われるようになりました。
パートさんが気持ちよく仕事ができないから
その後しばらくして再び部長に呼び出されました。
「パートさんのストレスも溜まるし、あなたも嫌でしょ?」
という事でフロアーを移動することになりました。
その処置はパートさんのためのものでしたが、それでも仕事に集中できる環境を与えられてほっとしたのが正直な気持ちです。
残念ながら平和に暮らせたのは8ヶ月ほどでした。
私の仕事は外部に回されることになり、その後は苦手な事務仕事でそのパートさん集団のグループに配属されることになりました。
10年選手ばかりのベテラン集団の中「つかえない」役立たずとして、新しい仕事を一から教えてもらう立場です。
分からない事を聞いても「私もわからな~~い」と言われたり
教えてくれても「あ~~ストレスたまる」と聞こえるように言われたり
昼休みともなれば毎日のように、聞こえるように嫌味を言われ続けました。
仕事中も、休憩時間も地獄のような1ヶ月間が過ぎました。
病気の悪化から退職~最終日まで続く嫌がらせ
私にはもともと「血小板が少ない」という病気があります。
あまり専門的な事は分かりませんが、骨髄検査を受けなければならない程度に悪く、幸い異形のものは見つからなかったのですが数値としては…
「血が止まらなくなるから、怪我しないでね」
というレベルのものです。
嫌がらせがエスカレートして1ヶ月、定期的な血液検査の結果は1週間かかるはずでしたが、気が付くと病院から何度か電話が入っていました。
「先生から検査結果についてお話があります、今日、すぐ来てください」
との事でした。
結果は、ただでさえ少ない血小板が、この1ヶ月で半分に減ってしまっているという事。
何だったのだろう、と思いました。
大好きな仕事は取り上げられ、そもそも口を聞いた事もなかったような人から嫌われ、バカにされ、挙句の果てに病気が悪化し、退職せざるを得ない状況って…。
そして…ある意味期待を裏切らないというか、
最終日の昼休みまで、聞こえるような嫌味は続きました。
その最終日の最後の最後、中立の立場だった人からはこんなことを言われました。
「やっぱり、耐えられなかった?」
「私も同じ目にあったことあるよ」
「うちのパートさんはもう力が強くなっちゃって、その上に胡坐かいちゃってるんだよね」
ああ…なんだ
普通にあの状況がおかしいと理解できるくらいまともな人もいたんだ…
という気持ちと「対岸の火事かぁ」という虚しさを同時に感じました。
そして後になって別グループの人から聞いた話では
「パートさんの嫌がらせなんて、勘違いなんじゃないの?」と言っていた上司が、
「実は彼女が嫌がらせを受けている事は知っていました」と言っていたという事でした。
ああ…そうなの
なんだかもう、笑うしかない…
そもそも耐えるほどの価値もなかったのに、
辞める勇気もなくダラダラ居座り続けることで、人の悪意をまともにくらってしまった
自分の馬鹿さ加減に、ただただ嫌気がさすだけの状態でした。
これから、どうしようかな…
人というものに嫌気がさし、
自分を取り巻くすべてを嫌い、憎み、世界中の不幸を望んでいました。
この時点では、収入源も健康も気力も何もない状態でした。